in the dusk
オルタナティヴ
その定義は今や曖昧で、ジャンルを指している言葉なのかすら分からなくなってきた。
ニルヴァーナ以降、という言葉があるように、その時代を象徴するバンドに付随して、オルタナティヴ・ロックの定義も変わってきた。
邦ロックにおけるオルタナティヴとは何か。
日本のオルタナと言われて、間違いなく名前が挙がるのは、NUMBER GIRLだろう。
というくらい確固たる地位を築いた。
日本でも、ナンバーガール以降、という言われ方をするくらい、オルタナの定義に影響を与えた。
それ以降に出てきたオルタナを称するバンドは、ほとんどナンバーガールの系譜にあると言っていい。
テレキャス或いはジャズマスがジャキジャキしていて、ベースがゴリゴリではなくブリブリしていて、ドラムがよく分からんかったら、それは間違いなくナンバーガールの影響を受けている。
変則的なリズムで、気まぐれのような曲展開なくせに、アルペジオがやたら綺麗だったら、それはナンバーガールの影響を受けまくっている。
そのくらいカッコいい音楽なのだ。
大衆ウケを気にしないそのオルタナ精神もさることながら、己を突き詰めた果てに見出した、世の真理というものが、その音楽性に詰め込まれている。
中毒性が高く、ハマる人はその沼にどんどん溺れていく。
歌詞にも描かれる少女の物語は、時を越えて次々に伝染していく。
そんなナンバーガールも、世代ではない。
好きなバンドを遡って辿り着いた原点だ。
原点にして頂点とはこのことかと思った。
オルタナというものを知ったのは、
ART-SCHOOLから。
あのダウナーな感じがたまらなく心地よかった。
古いフランス映画のような詩世界。
儚くも冷たい空気感に冬の匂いがする。
りっきーの気弱さもそのエッセンスとなる。
音出しの手癖も、エフェクターの試奏も、
スカーレットのイントロを弾いてしまう。
どうしようもなくムシャクシャした時も、
あのコードをひたすら掻き鳴らす。
夜に聴きたいバンドはたくさんいるが、
朝に聴きたいバンドはあまりいない。
アートスクールは夜でもいいけど、朝にこそ聴きたい。
ロリータキルズミーとかウィノナライダーアンドロイドとか。
朝に聴きたいバンドは、他にもtoeとかハイスイノナサとかthe cabsとか。
まあ精神状態ではいつでも聴くんだけど。
そのダウナー系あたりで出会ったのが、
だけど当初は少し難しかった。
そして時が経って、きのこ帝国に出会う。
女性ボーカルのバンドで、こういう音楽ってのが新鮮だった。
ナンバーガールの系譜でいうところのオルタナを踏襲しているし、そこにドリームポップやシューゲイザーが入ってくる。
好きな要素しかないから、ハマるには時間は必要なかった。
高校生の頃にスクールフィクションを聴いていたら、不登校にならずに済んだかもしれない。
ラスサビ前の、ギター1本で掻き鳴らすあのコードと音だけで、俺の日常は変わっていたかもしれない。
田舎だったし、渦になるがリリースされたのが卒業した後だったから、どっちにしろ無理だったけど。
そんなきのこ帝国も、惜しくも活動休止してしまった。
千亜妃さんのソロも凄くいいんだけど、やっぱりどこかでノイズを求めてる。あの歪んだギターサウンドが欲しくなる。
そこで最近出会ったのが、クレナズムというバンド。
福岡は本当いいバンドばっかり生む。
なんで?福岡にはどんな仕組みがあるのだ。
そういう意味では、福岡と北海道は日本でも稀有な場所。
もうシューゲイザーなんかやるバンドはいなくなって、このまま絶滅するのかと思ってた。
いた。福岡に。福岡やっぱすげえ。
オルタナなんだけど浮遊感があって、サウンドのきめの細かさが絶妙。
ギターに関して言えば、アルペジオを弾いた時にはじける音の粒がかなり綺麗。それが浮遊感を作り出している。
そしてもう1本が最大の特徴であり武器。
彼がいなかったらここまでハマらなかった。
やっぱりこういうギターが好き。リバーブ掛かったファズサウンド。これぞシューゲイザー。
だけど曲を全く邪魔しない。バランスがよく、その音が感情を揺さぶる。
そしてボーカルの透明感。淡いが故に儚げなその声は、慈雨の如く染み込んでいく。
優しくて青いメロディが聴く者を拒まない。
まさに時代に合った新しいシューゲイザーの形と言えよう。
絶望は希望だったりする。
夜明けは朝という光を連れてくる。
夕暮れは夜という闇を連れてくる。
二元性のこの世界において、相反するこの2つはイコールの存在。
光が絶望になることも、闇が希望になることもある。
破壊と創造がそうであるように。
ひとつ確かなのは、
ずっと夜にいたい僕とって、
夕暮れは希望を連れて来てくれるいいやつ。
クレナズムはいいバンド。