We are Fighting Dreamers
オリンピックが無事に開催されて、大成功で幕を閉じる、という想像が1ミリもできないのは私だけだろうか。
熱中症でバッタバタ倒れるだろうし、交通機関は麻痺してパニックになるだろうし。
ウィルスだっていつ収束するか分からない。
混乱に乗じて海外から工作員が大量に入ってくるかもしれない。
地震が起きるかもしれないし、台風が来るかもしれない。富士山が噴火するかもしれないし、テロが起こるかもしれない。
そうなっても、ざまぁとしか思わないけど。
莫大な予算かけてるのに整備も対策もガバガバ。
ルールも規定も定まってない。
競技場は負の遺産まっしぐら。
わざとやってるとしか思えない。
委員会はボランティアのことを奴隷としか見てないし、観客どころか選手のことすらどうでもいいと思ってる。
選手ファーストって言ってなかった?
ダンボールのベッドって何?
ダンボールで寝たことないだろ。
体中が寝違えたみたいになるんだよ。
復興五輪とか言いながら、復興という言葉はただのイメージ戦略であって、中身はただの金儲けの話。
いやあ、素晴らしい国ですね。
やっぱり頭がいい人の考えは違いますよ。
凡人には理解できないんでしょうね。
それにあれ。日本中をおかしくしたあの言葉。
おもてなし
いやあ、もてなされてえ。
海外の方はいいね。満を持して、練りに練り込まれたおもてなしを受けられるわけだから。
驚くだろうなあ。
災害級の暑さの中、アサガオでもてなされるなんて誰も思ってないだろうなあ。
いやあ、すげえ。やっぱり常人には理解できない。
アサガオで涼んでみたいなあ。
アサガオを過小評価してた。
凡人なりに考えてみた。
いい大人が何人もいて、アサガオで視覚的に涼しくしよう、などという案が何故通ったのか。
予算的な問題、というのはカバーストーリー。
そこにはやはり、日本人ならではの精神性が隠れている。
2019年から徐々にスピリチュアル的な時代になってきた。
物質世界が発展していくとともに、人間の精神もまた進化させなくてはならない。
精神テクノロジー文明において、人間はより精神を高め、高次元の存在に近づく必要がある。
そのはじまりの国は、やはり日本。
そう考えて、辿り着いた答えがアサガオ。
アサガオを見て涼しくなれるような精神でないと、この先生きてはいけない。
そのための洗脳実験のひとつ。
オリンピックという競技すらフェイク。
真の目的は人間の忍耐力、耐久性を測るための我慢大会。
人間はどのラインまで耐えることが出来て、首都がパニックになるとどうなるのか。そのデータを取るための実験。
敗戦の後もまだ戦争は続いている。
100年計画のひとつに過ぎない。
今もまだモニター国として利用されている。
そのために長年培われてきた日本人の能力。
良くも悪くも日本人は精神論が大好き。
我慢や忍耐はステータス。それが美徳の日本。
そう作られてきた。
そして失ってきた。
オリンピックにおけるどの案も対策も結局は精神論。
だったらもういっそのこと、競技も我慢大会にすればいい。
そしたら勝てるよ、日本は。
常に我慢大会してるんだから。
何時間残業できるかとか、休みなしに何日働けるかとか、どのくらい寝ずにいられるかとか。
こんなに頑張ってるのに、何で生産性は低いんだろう?何で皆それを仕方ないと思ってるんだろう?何でおかしいと思わないんだろう?
答えは簡単。
自分が我慢すればいい、そう教えられて育ってきたから。
我慢できない奴は悪。
嫌なら出てけ。までがテンプレ。
それはさておき、じゃあオリンピック用に競技も作っちゃえばいい。
例えば、電車シャトルランとか。
超満員の田園都市線に乗って何往復耐えられるか、とか。
喧嘩になったら失格、変な奴に耐えられなくて途中で降りたら失格、とか。
上京するまで知らなかったんだけど、都会の人って、別に電車が好きなわけじゃないんだね。
みんな電車がすげえ好きなんだと思ってた。
ホームとかすごい行列できるし、我先にってギュウギュウになるまで乗るし、椅子取りゲームもするし、ドア横死守するガーディアンもいるし、みんな好きなんだねえ、って思ってた。
でも違うんだね。都心で働くのがステータスだから、仕方なく電車に乗るしかないんだね。
大変なんですね。すみませんでした。
でも、我慢強い日本の悪いところは、すぐ不幸自慢になること。
不幸自慢大会になったら世界には勝てない。
我慢は出来るけどそのストレスの捌け口がないから、不幸自慢になったり、しょうもない言い争いをしたり。
ここから言えるのは、日本人は精神論は好きで、我慢も出来るけど、決して精神性が高いわけではないということ。
むしろ低い。
我慢も間違った我慢だからストレスだけが溜まり、精神の向上などに繋がるわけもなく、ただただ病んでくだけ。
これまで同調圧力、集団心理でどうにかこうにか誤魔化してきたが、このオリンピックで世界に露呈するだろう。
おもてなしなんか誰もしようと思わない。
おもてなしの精神なんか誰も持っていない。
それを掲げて推奨する奴らは、ただ儲かるために利用するツールとしか思ってない。
営業スマイルと変わらない。
偽物だ。
だが、それで良いと言うのだから良いのだろう。
所詮は資本主義に縛られた世の中なのだから、何をするにも金が1番偉い。
頑張ってチケット当てて観戦できても、必ず不満を爆発させる。
何やっても不満を言う奴は言うけど、今回は簡単にそれが予想できる。
そんなグダグタな中でも、選手たちは今も努力している。
4年に1度の祭典に向けて、何年も努力を続けている。
彼らはどんな環境でも、どんな状況でも、決められたルールの上で全力を発揮するだろう。
プロだから。
だから我々も、決められたルールの上で彼らを全力で応援しなければならない。
我々に出来ることはひとつ。
オリンピックまでに、アサガオで涼める精神性を身につけることだ。
今こそ瞑想や禅、またはヨガでチャクラを練り上げ、第3の目、松果体を活性化させ、己を高次元の存在に高める必要がある。
そうすることで無駄な争いはなくなり、オリンピックも成功するどころか、ナルト走りが種目として認められることにもなるだろう。
オリンピックはそのための試練だ。
気付け日本人。
いい加減目を覚ませ。
気付いた人はもう動き出している。
知らんけど。